入銀本『一目千本』画像あり

江戸時代中期、文化が爛熟し、出版業界が活況を呈していた時代 に、一冊の興味深い書物が刊行されました。『一目千本』(ひとめせんぼん)と題されたその本は、吉原遊郭で働く遊女たちを花にたとえ、その美しさを描いた評判記です。
この記事では、この『一目千本』について、その内容、著者、出版の背景、そして現代における評価と影響について詳しく解説していきます。

一目千本の概要

『一目千本』は、安永3年(1774年)7月に出版された遊女評判記です。
吉原の遊女たちが1ページに2人ずつ、四季折々の花々にたとえられて描かれており、その絵は当時評判の絵師であった北尾重政が担当しました。
例えば、ツンとしている遊女は山葵に、華やかな遊女は牡丹になぞらえるなど、花の特徴と遊女の個性を重ね合わせることで、読者の興味を引くような工夫が凝らされていました。 

『一目千本』は、“擬細見”(ぎさいけん)と呼ばれる種類の書物です。 これは、一般的なガイドブックとは異なり、遊女たちを花にたとえるなど、独特な視点で情報がまとめられていることを意味します。

項目 内容
出版年 安永3年(1774年)
著者 蔦屋重三郎
絵師 北尾重政
内容 吉原の遊女を花にたとえた評判記
出版目的 吉原の遊女や妓楼の宣伝、贈答用
『一目千本』(大阪大学附属図書館所蔵)
出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100080738
『一目千本』(大阪大学附属図書館所蔵)
出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100080738

一目千本:その名の由来

『一目千本』という書名は、奈良県吉野山にある桜の名所「一目千本」に由来すると考えられています。
吉野山の桜は、約1300年前、修験道の開祖・役行者が蔵王権現を山桜の木に刻んだことから御神木として崇められるようになり、その後、多くの桜が植えられました。

文禄3年(1594年)には、豊臣秀吉が約5000人の人々を伴い、吉野山で盛大な花見を行いました。 秀吉自身はもちろんのこと、徳川家康や伊達政宗などの有力武将たちも仮装をして参加したこの花見は、現代のコスプレパーティーの起源とも言われています。

このように、歴史的にも文化的にも重要な意味を持つ「一目千本」という地名を、書名に用いることで、重三郎は、この書物に特別な意味を持たせようとしたのかもしれません。

一目千本の著者:蔦屋重三郎

『一目千本』を世に送り出したのは、蔦屋重三郎という人物です。
重三郎は、江戸時代中期に活躍した版元であり、洒落本、黄表紙、浮世絵など、様々なジャンルの出版物を手がけました。
彼は、吉原で茶屋を営む家に生まれ、後に書店を開業し出版業へと進出しました。 重三郎は人情に厚く世話好きで、吉原をこよなく愛していました。
吉原という文化サロンで、一流文化人たちと交流する中で、彼らの才能を見出し、世に送り出す役割を担いました。 大田南畝、恋川春町、山東京伝、曲亭馬琴、喜多川歌麿、葛飾北斎、東洲斎写楽など、そうそうたる文化人が重三郎の出版物に関わっています。 

重三郎は、吉原の遊郭案内記である『吉原細見』の出版にも携わっていました。 当時の『吉原細見』は、鱗形屋孫兵衛という版元が出版しており、重三郎は、その内容をチェックし、最新の情報に更新する「改め」という役割を担っていました。
この「改め」の仕事を通して、重三郎は、吉原の遊女や妓楼について深い知識を得ることができ、それが『一目千本』の出版にも役立ったと考えられます。 

重三郎は、『吉原細見』の編集を通して、鱗形屋孫兵衛とライバル関係にありました。 孫兵衛は、上方の本を無断で複製して販売するなど、不正行為を行っていたため信用を失墜させていきます。
一方、重三郎は、独自の視点で編集を行い、質の高い出版物を世に送り出すことで、高い評価を得ていきました。
このようなライバル関係が、重三郎の編集者としての才能をさらに開花させ、『一目千本』のような革新的な作品を生み出す原動力になったのかもしれません。

一目千本の出版目的

重三郎が『一目千本』を出版した目的は、大きく分けて二つあります。
一つは、吉原の遊女や妓楼の宣伝です。 当時の吉原は、幕府公認の遊郭として繁栄していましたが、競争も激化していました。
重三郎は、『一目千本』を発行することで、吉原の魅力を広く世間にアピールし、集客につなげようとしたのです。

もう一つの目的は、贈答用としての利用です。
重三郎は、当初『一目千本』を一般販売せず、一流の妓楼にのみ置きました。
これは、重三郎の巧みなマーケティング戦略の一つでした。
限られた場所にのみ置くことで、希少価値を高め、人々の関心を惹きつけようとしたのです。
そして、遊女たちが自分の馴染み客に贈ることを想定していました。
美しい絵と花にたとえられた遊女たちの姿は、贈り物として最適であり、遊女たちの評判を高める効果もあったと考えられます。
後に、重三郎は『一目千本』を一般向けにも販売し 、より多くの人々に届けることで、吉原全体の活性化を図りました。

一目千本の現代における評価と影響

『一目千本』は、江戸時代の出版文化を語る上で重要な作品の一つとして、現代でも高く評価されています。
重三郎の革新的な編集手法、北尾重政の美しい絵、そして遊女たちを花にたとえるという斬新なアイデアは、現代の私たちにも新鮮な驚きを与えてくれます。

『一目千本』は、江戸時代のエンターテイメント文化を象徴する作品として、現代においても人々の心を惹きつけています。 当時の文化や風俗を知るための貴重な資料であると同時に、蔦屋重三郎という、型破りな出版プロデューサーの才能と情熱を伝えるものでもあります。

CCCグループは、2025年NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の放送開始を記念して、蔦屋重三郎の業績を称える様々な企画を実施しています。
「一目千本」の遺産は、現代の創造性を刺激し、江戸時代の魅力を現代的な感性と融合させる試みを生み出しています。

その中で、『一目千本』をモチーフにしたオリジナル商品も販売されています。
具体的には、hibiの10分アロマ「Hitomesenbon」は、桜、百合、芍薬などを中心に、吉原の夜を彩った華やかで儚い物語を香りで表現した商品です。

また、J-Scentの香水「ツタジュウ」は、蔦屋重三郎をイメージした「粋でいなせな緑墨の香り」の商品です。 これらの商品は、江戸時代の文化と現代の感性を融合させた、魅力的なアイテムとして注目を集めています。 

一目千本を現代に探る

『一目千本』は、江戸時代に出版された貴重な書物であるため、現代においてオリジナルの版を入手することは非常に困難です。
現在は大阪大学附属図書館に所蔵されていて、国書データベースに掲載されていてネットで閲覧が可能です。
→ 国書データベース https://doi.org/10.20730/100080738

結論

『一目千本』は、江戸時代の遊女評判記であり、蔦屋重三郎の出版人としての才能とビジネスセンスが遺憾なく発揮された作品です。
美しい絵と花にたとえられた遊女たちの姿は、当時の読者を魅了しただけでなく、現代においても高く評価されています。
また、現代の文化にも影響を与え続けている点で、重要な意味を持つ作品と言えるでしょう。

『一目千本』は、芸術性、社会性、そして革新的なマーケティング戦略を融合させた、他に類を見ない作品です。
それは、江戸時代の活気ある文化と、創造的な表現の永続的な力を証明するものとして、今日まで私たちに多くの示唆を与え続けています。

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