戯作本とは、江戸時代後期に隆盛を極めた通俗的な読み物の総称です。
文字通り「戯れに作られた書物」という意味で、滑稽本、洒落本、人情本、読本、草双紙など、多様なジャンルを含みます。
これらの作品は、当時の社会状況や庶民の生活を反映しており、現代においても江戸文化を理解する上で重要な資料となっています。
戯作本の歴史的背景
戯作本の歴史は、18世紀後半、明和・安永期に始まります。
当時、武士階級の学問であった儒学は、経世済民を目的とした経学と、漢詩文を中心とした文学の二つに分けられていましたが、享保年間(1716~1736)に入ると経学と文学の分裂が起こり、経学から離れて漢詩文の世界に遊ぶ漢学者が現れ始めました。
宝暦・明和期(1751~1772)になると、こうした漢学者や知識人の中から、庶民の生活や文化に目を向ける人々が出てきました。 彼らは、自らの教養を生かして、庶民向けの滑稽な読み物を書き始め、これが戯作本の始まりと言えます。
江戸時代後期は、都市化が進み、商工業が発展した時代でした。 庶民の識字率も向上し 、娯楽への需要が高まりました。こうした社会状況を背景に、戯作本は広く読まれるようになり、様々なジャンルが生まれていきました。
戯作本の隆盛には、出版業界の発展も大きく貢献しました。
特に、蔦屋重三郎のような出版者は、才能ある戯作者たちを積極的に支援し、質の高い作品を世に送り出すことで、戯作ブームを牽引しました。
また、十返舎一九のように、原稿料で生計を立てる職業作家も登場し、戯作本の質と量をさらに高めることに繋がりました。
加えて、従来の遊里文学であった浮世草子がマンネリ化し、新しい表現を求める機運が高まったことも、戯作本の登場を促した要因の一つと言えるでしょう。
戯作は、浮世草子に代わる、より斬新で娯楽性の高い読み物として、江戸の人々に受け入れられていきました。
寛政の改革と戯作本の変化
天明期から寛政期にかけて、幕府は風紀の乱れを正すため、寛政の改革を行いました。
この改革は、出版物に対しても厳しい規制を行い、戯作本もその対象となりました。
これにより、山東京伝のような人気戯作者が処罰を受けたり、作品が絶版になるなど、戯作界は大きな打撃を受けました。
しかし、戯作者たちはこうした規制をかいくぐるため、様々な工夫を凝らしました。
例えば、山東京伝は、『仕懸文庫』のように、時代設定を過去にしたり、教訓的な要素を盛り込むことで、当局の目を逃れようとしたのです。
また、出版者たちは、刊行年や版元を伏せるなど、秘密出版という手段で取締りに対抗しました。
戯作本の代表的な作品と作者
戯作本には、様々なジャンルがありますが、代表的な作品と作者を以下の表にまとめました。
ジャンル | 作品 | 作者 |
---|---|---|
洒落本 | 『傾城買四十八手』 | 山東京伝 |
『遊子方言』 | 山東京伝 | |
滑稽本 | 『東海道中膝栗毛』 | 十返舎一九 |
『浮世風呂』 | 式亭三馬 | |
人情本 | 『春色梅児誉美』 | 為永春水 |
読本 | 『南総里見八犬伝』 | 曲亭馬琴 |
『雨月物語』 | 上田秋成 | |
黄表紙 | 『仕懸文庫』 | 山東京伝 |
戯作本の特性
戯作本は、以下のような特徴を持っています。
- 内容
当時の世相や風俗を反映した内容が多く、遊里、恋愛、滑稽話、勧善懲悪など、多岐にわたります。
例えば、洒落本は遊郭での遊び方や粋な振る舞いを指南する内容で、人情本は男女の恋愛模様を情感豊かに描き出しています。 - 文体
口語的な表現や洒落、地口などを用いた軽妙な文体で、庶民にもわかりやすいように書かれています。
特に、洒落本では、言葉遊びやユーモアを駆使することで、読者を楽しませることに重点が置かれていました。 - 視覚的要素
多くの戯作本は、挿絵を豊富に用いることで、物語の世界観を視覚的に表現しています。
絵と文章が一体となって、読者の想像力を刺激し、物語への没入感を高める効果がありました。 - 読者層
主に都市部の庶民を対象としていましたが、識字率の向上に伴い、地方にも読者が広がっていきました。 また、黄表紙のように、子供向けの戯作本も存在しました。
戯作本と他の文学ジャンルとの違い
戯作本は、同時代の他の文学ジャンルである読本や洒落本と比較されることがあります。
- 読本
読本は、中国の白話小説の影響を受けた、文章中心の長編小説です
戯作本よりも文学性が高く、教訓的な要素が強い傾向があります。 曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』や上田秋成の『雨月物語』などが代表的な作品です。
- 洒落本
洒落本は、遊里の風俗や遊びを題材とした短編小説です。 戯作本の中でも初期に成立したジャンルで、言葉遊びや洒落を多用した独特の文体が特徴です。
山東京伝の『傾城買四十八手』が代表的な作品です。
戯作における「粋」の表現
戯作本、特に洒落本は、江戸文化における「粋」の概念と深く結びついています。
「粋」とは、洗練された美意識や洒脱な振る舞いを指し、当時の江戸っ子にとって重要な価値観でした。
洒落本は、遊郭という非日常的な空間を舞台に、登場人物たちの粋な会話や行動を通して、この「粋」を表現することに腐心しました。
戯作本の現代社会への影響
戯作本は、江戸時代の庶民文化を現代に伝える貴重な資料です。
当時の社会状況や風俗、人々の考え方などを知ることができます。
また、戯作本は、現代の小説、漫画、アニメなどにも影響を与えており、その表現技法や物語の構成は、現代のエンターテインメント作品にも通じるものがあります。
例えば、現代の漫画やアニメでよく見られる、コメディ要素やパロディ、登場人物の個性的なキャラクター設定などは、戯作本から受け継がれたものと言えるでしょう。
戯作本の社会風刺
戯作本は、単なる娯楽作品ではなく、社会風刺の側面も持っていました。
戯作者たちは、ユーモアを巧みに用いることで、当時の社会問題や権力者たちを批判しました。
特に、滑稽本や黄表紙では、世相を風刺する内容が多く見られます。
これは、幕府による言論統制が厳しかった時代において、戯作が社会批判の手段として機能していたことを示しています。
結論
戯作本は、江戸時代後期に隆盛を極めた庶民の文学です。 多様なジャンルと作品があり、当時の社会状況や庶民の生活を生き生きと描いています。 現代においても、江戸文化を理解する上で重要な資料であるとともに、現代のエンターテインメント作品にも影響を与え続けています。 戯作本は、時代を超えて人々を魅了する、日本文学史における重要な遺産と言えるでしょう。