「惚れて通えば千里も一里、逢えずに帰ればまた千里」
この哀切な歌をご存知でしょうか?
これは、江戸時代から現代まで人々に愛され続けている「都々逸(どどいつ)」と呼ばれる歌謡の一節です。 本稿では、都々逸の魅力と歴史、そして現代における役割について多角的に解説いたします。
都々逸とは?
都々逸は、7・7・7・5の26音からなる短い歌謡、そしてそれを歌うための三味線音楽です。
俳句や短歌のように短い言葉で情景や感情を表現する点で共通していますが、都々逸はより口語的で、庶民の生活や恋愛を題材にすることが多い点が特徴です。
江戸時代には寄席や座敷で流行し、人々の心を掴んで離しませんでした。
当時の江戸の人々は大変唄好きだったため、誰でも気軽に唄える都々逸は、粋でいなせな江戸っ子たちの心を掴み、大流行したのです。
都々逸の起源
都々逸の起源には諸説ありますが、有力な説として、18世紀末に名古屋の熱田で流行した「神戸節(ごうどぶし)」が起源であるというものがあります。
神戸節は、宿場町の遊客の間で歌われたもので、「おかめ買う奴 あたま で知れる 油つけずの二つ折り」「そいつは どいつだ ドドイツドイドイ 浮世はサクサク」といった調子の良い囃子詞が特徴でした。
この囃子詞「ドドイツドイドイ」が、後に「都々逸」の語源になったともいわれています。
神戸節はまもなく地元では廃れてしまいましたが、江戸や上方に流れて「名古屋節」と称され、広く歌われるようになりました。
その後、江戸に伝わって「よしこの節」など様々な歌謡と混ざり合い、1838年頃に江戸の寄席音曲師であった初代都々逸坊扇歌が、現在の都々逸の節回しを完成させたとされています。
扇歌は茨城県常陸太田市出身で、美声と三味線の腕前で江戸で人気を博し、都々逸の名を広めました。 都々逸は寄席や座敷といった場で流行し、芸者衆によって広められたことも、その普及に大きく貢献しました。
都々逸の特徴
形式
都々逸の特徴は、何と言ってもその独特な形式にあります。 7・7・7・5の26音という短い音数の中に、情景や感情、ユーモアなどを凝縮して表現します。
この形式は、日本語のリズムに合致しており、口語的で覚えやすく、歌いやすいという特徴があります。
基本的には七七七五ですが、五七七七五の形式や、七七と七五の間に他の音曲のさわりや台詞などを挟み込む「アンコ入り」と呼ばれる形式も存在します。
例えば、「(三・四)・(四・三)・(三・四)・五」のリズムで歌われることが多く、最初と途中に休符を入れることで、自然なリズムで歌いやすくなっています。
また、「字余り」や「文句入り」といった形式もあり、字足らずにしたり、他の歌謡の一節を挿入したりすることで、表現の幅を広げています。
表現技法
都々逸は、日常会話で用いられるような口語的な表現を用いることが多く、庶民の生活や感情をリアルに描写します。
また、言葉遊びや洒落を効かせた表現も特徴的で、聞き手の笑いを誘ったり、考えさせたりする効果があります。
さらに、都々逸は三味線音楽と一体となっており、節回しやリズムによって、言葉だけでは表現しきれない情感や雰囲気を醸し出すことができます。
三連符の連続や、拍の頭をはずしたリズムを用いるなど、独特なリズム感が都々逸の魅力を引き立てています。
テーマ
都々逸は、恋愛をテーマにしたものが多く、「情歌」と呼ばれることもあります。
しかし、それだけにとどまらず、社会風刺や世相を表したもの、人生の教訓を込めたものなど、様々なテーマを扱っています。 特に明治時代以降は、文明開化や社会の変化を反映した作品も数多く作られました。
例えば、自由民権運動では、「よしや憂き目のあらびや海も、わたしゃ自由を喜望峰」といった都々逸が歌われ、思想の浸透に一役買いました。 現代においても、日常生活の出来事や心情を歌った作品が創作されています。
このように、都々逸は、そのシンプルな形式の中に、時代や社会を反映した様々なテーマを織り込み、人々の心に響く歌謡として発展してきました。
類似した芸能との比較
都々逸と類似した日本の伝統芸能としては、端唄、小唄、うた沢などが挙げられます。
これらの芸能は、いずれも三味線を伴奏とした短い歌謡であり、庶民の生活や感情を題材にすることが多いという共通点があります。
芸能 | 音数 | 特徴 | Typical Themes |
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都々逸 | 7・7・7・5 | 口語的で、言葉遊びやユーモアを交えた表現が多い | 男女の情愛、社会風刺、人生の教訓など |
端唄 | 様々 | 長唄を簡略化したもので、短い歌謡の総称 | 粋な町人の暮らし、風情、情愛など |
小唄 | 様々 | 端唄をさらに軽くアレンジしたもの | おしゃれ、粋、恋愛、遊びなど |
うた沢 | 様々 | 端唄に技巧と情緒を加えたもの | 男女の情愛、悲恋、人生の哀歓など |
都々逸は、これらの芸能と比べて、より即興性を重視し、言葉遊びやユーモアを交えた表現が多いという点で独自性を持っています。
また、端唄、小唄、うた沢は、どちらかというと歌い手の技巧や表現力に重点が置かれるのに対し、都々逸は、言葉の面白さや機知、そして聴き手とのやり取りを楽しむという点が特徴です。
現代における都々逸
明治時代以降、西洋音楽の影響を受け、都々逸は徐々に衰退していきました。 しかし、現在でも愛好家によって歌い継がれており、全国各地に都々逸保存会や同好会が存在します。
また、現代の社会や生活を題材とした新しい都々逸も創作されており、文芸としての可能性も広がっています。
NHKでは「季節の折句」という番組で、季節の言葉を織り込んだ都々逸を募集するなど、新たな試みも行われています。
さらに、1904年には、ジャーナリストの黒岩涙香が都々逸の歌詞の質を高めるため、「俚謡正調」運動を提唱しました。
これは、都々逸が単なる娯楽の歌謡ではなく、文芸としての価値も認められていたことを示しています。 また、フランスの詩人ポール・クローデルが都々逸の訳詩集を出版するなど、海外でも注目されています。
代表的な都々逸とその魅力
ここでは、有名な都々逸をいくつか紹介し、その内容と魅力を解説します。
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「惚れて通えば千里も一里 逢えずに帰ればまた千里」
恋する人のもとへ通う道のりは、たとえ千里であっても一里のように感じられるが、逢えずに帰る道のりは、またしても千里に感じられるという、恋心の切なさを歌った作品です。
簡潔な言葉でありながら、恋する人の心情が鮮やかに表現されています。 -
「三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝がしてみたい」
幕末の志士、高杉晋作が詠んだとされる都々逸です。
三千世界の鴉を全て殺してしまえば、邪魔する者はなくなり、愛する人とゆっくりと朝寝ができるのに、という大胆な表現が印象的です。 愛する人への強い想いが伝わってきます。 -
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」
美人の立ち居振る舞いを、美しい花にたとえて詠んだ作品です。
芍薬、牡丹、百合という、それぞれ異なる美しさを持つ花を巧みに用いることで、女性の美しさを多角的に表現しています。 -
「今日の空 花か紅葉か知らないけれど 風に吹かれて行くわいな」
初代都々逸坊扇歌が詠んだ五字冠りの都々逸です。
空に浮かぶ花や紅葉のように、自分の人生がどこへ向かうのかわからないけれど、風に吹かれるままに生きていこう、という自由な心境が表現されています。
結論
都々逸は、江戸時代から現代まで、人々の生活や感情を映し出す鏡のような存在であり続けてきました。
26音という短い言葉の中に、様々な想いやメッセージが込められており、時代を超えて人々の心を惹きつけています。
その簡潔な形式と奥深い表現力は、現代においてもなお、人々の心を打つものがあります。
これからも、新しい都々逸が生まれ、多くの人々に愛され、歌い継がれていくことで、日本の文化を豊かにしていくことを期待します。
参考文献
都々逸についてより深く知りたい場合は、以下の書籍が参考になります。
- 吉住義之助 (監修)・小野桂之介 (著) 『都々逸っていいなあ』
- 中道風迅洞 『【26字詩】どどいつ入門』
- 杉原残華著『都々逸読本』
- 玉川スミ著『ドドイツ万華鏡』
- 中村風迅洞著『風迅洞私選 どどいつ万葉集』