赤本(江戸時代)

江戸時代といえば、武士や町人の文化が花開いた時代として知られていますが、子供たちの文化もまた、独自の進化を遂げていました。
その象徴とも言えるのが、今回解説する「赤本」です。
現代では大学受験用の過去問題集を指す言葉として広く知られていますが、江戸時代には全く異なる意味を持っていました。

江戸時代の「赤本」とは?

江戸時代の「赤本」とは、主に子供向けに作られた絵入り読み物、すなわち草双紙の一種です。
表紙が丹色(黄味を帯びた赤)で、およそ縦12cm、横8cmほどの小さな判型だったため、子供でも手軽に手に取ることができました。
当時の値段で2~3銭、現在の約500円程度で購入できたようです。
現代の感覚で言えば、絵本と呼ぶのが最も近いでしょう。

赤本が登場したのは18世紀初頭の宝永年間頃(1704-1710)で、 江戸を中心に出版文化が隆盛を極めていた時代でした。
それ以前は絵巻や書物は手で書き写して作られていたため、高価で限られた人しか読むことができませんでした。
しかし、木版印刷の技術が普及したことで、大量に本を印刷することが可能となり、庶民にも手が届くようになったのです。
赤本は、こうした時代の流れの中で生まれた、子供たちのための新しい読み物でした。

赤本の主な内容・種類・特徴

赤本は、子供向けということもあり、1冊が5丁(10ページ)ほどと短く、絵を主体としていました。
文字はほとんど仮名で書かれており、 当時の子供たちは親に読み聞かせてもらったり、絵を見ながら物語の世界を楽しんでいたと考えられます。

赤本で扱われる題材は多岐に渡り、昔話や御伽草子、浄瑠璃、歌舞伎、年中行事、鳥獣などを題材としたものがありました。
特に人気があったのは、「桃太郎」や「かちかち山」といった五大昔話です。
これらの物語は、現代でも子供たちに親しまれていますが、江戸時代からすでに赤本を通して広く知られていたことがわかります。

赤本は、その時代の子供たちの興味関心を反映した内容であると同時に、社会通念や道徳観を伝える役割も担っていました。勧善懲悪をテーマとした物語が多く、子供たちは楽しみながら社会のルールや倫理を学んでいたと考えられます。

また、赤本は玩具としての側面も持っていました。
当時、同じ内容でも表紙の絵柄を変えて繰り返し出版されることが多く、子供たちはそれを集めたり、絵を見比べたりして楽しんでいたようです。

赤本は、その内容や形式、そして時代背景によって、いくつかの種類に分けられます。

  • 赤小本
    江戸時代初期に作られた、赤本の原型とも言えるものです。
    赤本よりもさらに小型で、紙質も劣るものが多かったようです。 現存する赤小本はわずかしかなく、貴重な資料となっています。

  • 中本
    江戸時代中期に主流となった、一般的な赤本です。
    半紙半切の大きさで、5丁1冊が基本でした。 多くの場合、表紙には絵題簽(だいせん)と呼ばれる、絵入りのタイトルが貼られていました。

  • 黒本・青本
    赤本の後に出現した、草双紙の一種です。 表紙の色が黒や青になったもので、内容もより大人向けに変化していきました。赤本と同じく、子供向けのものから大人向けのものまで、様々な種類がありました。

  • 青本
    一部の赤本は、表紙の色が青色のものもありました。 これは、当時の流行や、版元の意向などによって、様々な色の表紙が試された結果だと考えられます。

赤本が出版された背景・目的・読者層

赤本が出版された背景には、江戸時代の出版文化の隆盛と、識字率の向上があります。木版印刷の技術革新と、寺子屋などの普及により、庶民の間でも文字を読むことができる人が増えました。
こうした状況の中で、子供たちのための読み物として、赤本が登場したのです。

赤本の目的は、子供たちに楽しみながら文字や物語に親しんでもらうことでした。
また、昔話や御伽草子を通して、道徳や教訓を伝えることも目的の一つだったと考えられます。

赤本の読者層は、主に子供たちでしたが、大人も楽しんでいた形跡があります。
赤本の中には、大人向けの滑稽本や洒落本に近い内容のものもあり、幅広い年齢層に楽しまれていたことが伺えます。
また、正月に子供たちに与える年玉の代わりとして、赤本が贈られることもあったようです。

赤本の代表的な作品・作者

赤本の作者は、ほとんどの場合が不明です。
これは、当時の出版文化において、作者よりも絵師や版元が重視されていたためと考えられます。
しかし、中には、近藤清春や西村重長、羽川珍重といった、浮世絵師としても活躍した絵師が、赤本の絵を描いていたことがわかっています。

赤本の代表的な作品としては、以下のようなものがあります。

  • 昔話: 「桃太郎」「かちかち山」「舌切り雀」「猿蟹合戦」「花咲爺」など
  • 御伽草子: 「鉢かづき姫」「塩売文太物語」など
  • 軍記物語: 「源平盛衰記」など
  • その他: 「鬼の四季あそび」など

例えば、「鬼の四季あそび」では、鬼たちが雲の上で四季折々の天気を操っている様子が描かれています。
団扇や吹き竹で風を起こしたり、大きなじょうろで雨を降らせたり、雷が太鼓を叩いて夕立を起こしたりと、ユニークな表現で子供たちの興味を引いていたことが想像できます。

赤本が現代社会に与えた影響

赤本は、江戸時代の子供たちの教養や娯楽に大きな影響を与えました。
文字や物語に親しみ、豊かな想像力を育む上で、重要な役割を果たしたと考えられます。
また、赤本で描かれた昔話や御伽草子は、現代でも語り継がれ、絵本やアニメーションなど、様々な形で楽しまれています。

赤本は、後の草双紙、黄表紙や合巻といった、より大人向けの読み物へと発展していくための礎を築きました。
赤本で培われた表現技法や物語の構成は、後の時代の出版文化にも大きな影響を与えたと言えるでしょう。

明治時代以降、赤本は「豆本」と呼ばれる小型の絵本へと変化していきます。
豆本は、赤本よりもさらに安価で、より多くの子供たちに親しまれました。そして、現代の絵本へとつながる、重要な役割を果たしたと言えるでしょう。

現代における赤本の評価

現代において、江戸時代の赤本は、貴重な文化遺産として評価されています。
国立国会図書館や各地の博物館などで、赤本が所蔵・展示されており、 研究者や愛好家によって、その歴史や文化的な価値が研究されています。

例えば、京都国際マンガミュージアムでは、荒俣宏館長がセレクトした赤本のコレクションが展示されています。
また、ちひろ美術館・東京では、「江戸からいまへ 日本の絵本展」が開催され、江戸時代から現代までの絵本の歴史の中で、赤本が紹介されました。

また、近年では、復刻版やデジタルアーカイブとして、江戸時代の赤本が手軽に楽しめるようになっています。 これらの資料を通して、現代の私たちも、江戸時代の子供たちの文化に触れることができるのです。

結論

江戸時代の「赤本」は、子供たちのための絵入り読み物として、当時の社会に広く普及しました。娯楽としての役割だけでなく、教訓や道徳を伝える役割も担い、子供たちの成長に大きな影響を与えたと考えられます。また、赤本に登場する昔話や御伽草子の多くは、現代でも絵本やアニメーションなど様々な形で親しまれており、日本の文化に深く根付いています。

赤本は、単なる絵入りの読み物にとどまらず、江戸時代の出版文化、社会、そして子供たちの文化を理解する上で、重要な資料と言えるでしょう。現代においても、貴重な文化遺産として、その価値が見直されています。

参考文献

資料名 出版社 著者
江戸期昔話絵本の研究と資料 三弥井書店 内ケ崎有里子
江戸の絵本:初期草双紙集成 国書刊行会 小池正胤・叢の会編
江戸の絵本読解マニュアル:子どもから大人まで楽しんだ草双紙の読み方 文学通信 叢の会ほか編
近世子どもの絵本集 岩波書店 木村八重子、中野三敏、鈴木重三

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